追悼 デヴィッド・グレーバー(酒井隆史)

そこで開かれた諸可能性は、二度と閉じられることはない
――追悼 デヴィッド・グレーバー

酒井隆史


 ニューヨーク在住の著述家・翻訳家の友人、高祖岩三郎氏から、ニューヨークにいま、おもしろいヤツがいる、と聞いたのは二〇〇〇年代の半ばをすぎたころだった。街で会ってはしょっちゅう話をしている。人類学者でありながら、オルタグローバリゼーション運動に参加し、ときにスポークスマンとなり、しかもブラック・ブロック(日本ではいまだ、おそるべき「テロリスト」としての表象しかないのではないか)として行動し、なおかつそれを理論化し、大学をクビになった、あるいは、なりそうな人物がいる(実際、二〇〇四年にイェール大学からの契約を「政治的理由」で、打ち切られている)。しかも、その書くものがとんでもなくおもしろい、と。高祖氏がさっそく翻訳してくれた。それが『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)である。二〇〇四年公刊、翻訳は二〇〇六年である。その時点で、著作はこの本とあわせて二冊にすぎなかったが、それでもかれはすでに、運動と研究の領域で高祖氏が「グレーバー現象」と呼ぶ小さな旋風を起こしていた。
 この小さな可愛らしい―英語版だとさらにそう―小冊子が、とてつもない起爆力を秘めていた。わたし自身、いまだにときおりこの本に立ち返っては、あたらしい発見に興奮しているありさまである。もちろん、頁をめくった最初からそうだった。「まだ見ぬ日本の読者へ」という短い文章が日本語版にはある。かれの好む自伝風の記述から、本の意図するところを要約するといった体裁のテキストである。そこでは、アナキズムがなんであるのか、そしてなぜ人類学はアナキズムの特権的媒体であるのか、あざやかに説明されていた。いわく、ひとはだれもが警察もボスもおらず、権威に服従することもなく暮らすことを望んでいる、しかるに、本来、人間の本性からしてそれが不可能であるという想定から、アナキズム以外のすべての「主義」は出発している(つまり権威がなければおそるべきカオスであるという「ホッブズ的論理」である)。しかし、それは可能であることを経験しているものは、アナキストになる傾向がある。そして、人類学は、それが可能であることを実証する学問なのである、と。なんということだ。自分がうすうす感じていたことが、明晰に言葉になっている。しかも、それがアナキズムだって!?
 おなじみのグレーバーのスタイルに最初に接したのである。親密なおしゃべりのなかで、ついでにといった感じで、マダガスカルの先住民の慣習からメソポタミア、古代ギリシア、中国哲学、イスラームの小話など、時空を自由自在に往還し、さらにそこから、現代世界についておそるべき常識転覆的含意がひきだされる。そういったスタイルである。
 とはいえ、全体としてみると、そのテキストは、それまで遭遇したことのない知的宇宙に属していた。人類学であるというだけではない。それまで接した人類学のどのテキストとも違うのだから。人類学と革命理論とはどういうとりあわせなのか? グレーバーはそうした疑問にも答えを用意していた。人類学者あるいは元人類学者の多数が、資本主義のオルタナティヴをめざす活動家であり、自分はその伝統の末端に位置しているにすぎない、と。社会主義者、マルセル・モースしかり、アナキスト、ピエール・クラストルしかり、などなどなど。なるほど、しかし、グレーバーは、世界の変革に対してかれらよりもはるかに直截であり、その点ではマルクスやアナキストの思想家たちを彷彿とさせた。いずれにしても、晩年にいたるまで、かれいうところの人類学的探究と自由な世界の構築の追求、つまり、理論的課題と実践的課題の両輪がかれの持ち味であった。そして、それらはたがいに深奥で絡まり合っていた。
 二〇〇八年、洞爺湖サミット反対行動に合わせ、かれは日本にやってきて、わたしたちに強烈な印象を与えた。居合わせたヨーロッパの知識人たちとは違い、まるで好奇心旺盛な子どものように、いつも落ち着きがなく、いろんなことに関心をよせ、なにかいいたくていつもうずうずしている―でも言葉の壁もあってか遠慮がちにしている―、そんな感じだったが、口を開くとその場の左派系(おおよそマルクス派)知識人からは聞こえてこない話題が次々に出てくる。「資本主義の終わりはすぐにでもありうる」。として、資本主義後の世界を大事な焦点のひとつにくり込むといったような話題のつくりがそうである。(日本ではわからないが)いまでは世界でかなり共有されるようになった問題意識ではある。しかし、「資本主義を歴史にする」といったスローガンを共有していたはずなのに、わたしたちはショックを受けた。おそらく、スローガン以上にまじめにそれを考えていなかったということでもあるが、それだけではない。似たようなことだったら、イマニュエル・ウォーラーステインがずっと前からいっている。やはりマルクス派の枠のなかにわたしたちはいて、グレーバーの発想は、それとはなにか根本から違っていたのだ。
 二〇〇八年の時点でかれの著作は、人類学にかかわる理論的著作『人類学的価値論にむけて』(未訳、二〇〇一)と、師・マーシャル・サーリンズの主宰になる小冊子シリーズの一冊(つまり『アナーキスト人類学のための断章』である)、そして、方法論からフィールド報告、そして文明論など、それまで書かれたさまざまな論文を集めた『諸可能性』(未訳、二〇〇七)、自身ベストという、マダガスカルにおけるフィールド調査のモノグラフ『失われた人々』の四冊であった。
 以降、運動のフィールドワーク『直接行動』(未訳、二〇〇九)をへて、二〇一一年の『負債論』が登場する。この本は、金融危機とその余波のなかでのオキュパイ運動の高揚という雰囲気のなかで公刊された。その初期からこの運動に参加していたグレーバーは、さまざまなアイデアを運動に提出し―「われわれは九九%である」もそうだが、かれいわく、自分は「九九%」だけで「われわれ」と「である」をくわえひとつのスローガンにしたのは別の活動家たちだそうである。いずれにしても、運動的局面の出来事であればなおさら、それに「作者性」をあてがうのは間違っているのだが―、ときにはその声になった。そして行動の合間に書き上げられたこの著作は、オキュパイ運動の拡大とあいともなって、グレーバーの名を国際的に知らしめる。小さな旋風は国際的な旋風へと拡大をみせたのである。
 『負債論』は、グレーバーの資質―博識のみならずその個別の専門領域にとどまっている人文社会科学の地道な研究成果にはらまれる転覆的潜在性を爆発させる能力―を全面開花させたとてつもない著作である。そしてこの本の内蔵する意義はいまだ尽くされていない。わたしは翻訳にあたったが、その一文一文を訳した作業ほど研究者としての幸福をおぼえた経験もあまりない。この本は、これからも長く読まれ、さまざまな状況でさまざまなひとの手によって、さまざまにその意義がみいだされていくだろうが、すべての人文社会科学の知にたずさわるものを励ますテキストでもあるといまだにおもう。
 それからもグレーバーの知的勢いはとまることがなかった。『官僚制のユートピア』(以文社、二〇一五)『ブルシット・ジョブ』(岩波書店、二〇一八)の破壊力は、これからもっとその効果を発揮するだろう。そして、国家と主権について、めくるめく知的興奮を誘うサーリンズとの共著『諸王論』(未訳、二〇一八)。さらに、最後の本格的著作である考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著が待っている。グレーバーの知的野心は、人類史へと広がっていた。その壮大なプロジェクトの中断が、心から惜しまれる。
 このひたすら前衛的なもの、権威主義的なもの、アカデミズムな儀式を嫌悪した人類学者デヴィッド・グレーバーが、世界中で闘う人々の希望となりえた(ある新聞の追悼記事のタイトルによれば「二一世紀の世界でもっとも影響力のある左翼知識人」。そして現時点で追悼サイトはおよそ三〇カ国語に翻訳されている)理由の、いくつかは説明できる。もちろん、その卓越した知的能力がある。ただし、その知的能力は、支配的な知的態度とは正反対にはたらいた。そうしてはだめだ、こうしてはだめだ、それは不可能である―国家は必然である―、そしておもむろに、これからの世界の道筋(たいてい一つか二つ)を描いてみせる(要するに指導する)わけである。このように不可能性に知性を捧げることは、リベラリズム、保守主義、そして正統的マルクシズムと呼ばれる部分をもふくむ、知的態度におよそ共通するものである。ネオリベラリズムがその風潮を強化させているとはいえ、ひとに対して、そんなバカなこと考えるんじゃないよ、そんなことは不可能だよ、夢みたいなこといってんじゃないよ、なんとなれば、というふうな語り口で優越感にひたりたい誘惑は、知的活動に携わるものにつきまとう罠である。ところが、グレーバー、そしてグレーバーのいう人類学とアナキズムは違う。その発想いいね、おもしろいこと考えるね、それも可能だよね、実際やったひとたちがいるからね、といったふうに、可能性を開くために知的能力が捧げられるのである。しかも、その可能性も、いまここにない未踏の理想という領域のものでは必ずしもない。人類のほとんどがやってきたこと、あるいは、いまここでやっていることのなかに、つまり、この地球のすべての民衆の知と実践のなかにひそんでいる。知性は潜伏したそれらを注意深く聞き取り、その意味を開示することにむけられる。別の世界は可能だ、あるいは、別の世界はすでにいまここにある。資本主義の外は、いまここにある。サパティスタの蜂起からオルタグローバリゼーション運動のなかで育ってきたこのような発想は、デヴィッド・グレーバーの頭脳を介して、ひとつの知的宇宙となった。グレーバーにかぎれば、このような理論的態度は『負債論』ではマルセル・モースとクロポトキンに由来する「基盤的コミュニズム」という概念に結晶している。
 そして、現代世界のはらむ危機が、もはや近代のさまざまな道具立てでは解決できないこと。ただし、これはもはや聞き飽きた常套句であって、だれが口にしようと、たいてい意味をなしていない。しかし、グレーバーの著作のひとつの効能は、近代の乗り越えを唱える無数の議論が、どれほど近代の閉域をうろついているにすぎないか、身に沁みておもい知らせてくれることにある。人類学という知のもつ時間的・空間的スケール、そのスケールによって西洋近代をトータルに相対化できる力能は、必要条件である。しかし、その知に、アナキズム、というより「別の世界は可能だ」という革命的意志がつらぬいてはじめて、人類学のはらむ転覆的潜勢力が開花する。つまり、そのとき、人類学のもろもろの発見は、近代的人文諸科学との「平和的共存」をやめる。まさに、「欲望の二重の一致」という実証的にはなんの根拠もない経済学の空論が、その虚偽を実証してやまない人類学的知と、ずっと共存をつづけてきたように。デヴィッド・グレーバーにおけるアナキズムと人類学の交錯は、時代の要請であったのだ。そして、そうした危機をもっとも深く感受している世代の心性―オキュパイ運動のみならず気候正義運動あるいはBLMにもあらわれる「ミレニアル・レフト」と呼ばれる「ミレニアル世代」を中心として根づいてきた心性―脱資本主義・脱ヒエラルキー・直接行動・直接民主主義などへの指向性―を、もっともよく知的に汲み上げ、そして、それを破格の構想にむすびつけ―ブルシット・ジョブ!―、そのウィットとユーモアに充ちた卓越した語り口で、だれにもやさしく語りかけたのが、かれだった。
 もうひとつ、ふれておきたいことがある。ロジャバである。かれが最後の一〇年、情熱をかたむけていたのは、シリア北部の三つのおもにクルド系の居住する地域からなるロジャバの支援であった。そこでは、シリア内戦のなかでクルド系による「リバタリアン自治主義」―社会的エコロジー、直接民主主義、女性の解放、民族的多元主義などを理念とした―を理念とした共同体構築の実験がおこなわれていたし、いまも苦境のなか継続している。かれらはISとの戦争の前線にたち、そのかぎりで気まぐれなアメリカの支援を受けていたが、いずれにせよ、クルドの戦いがISへの軍事的勝利の鍵となった。その厳しい戦いと実験への国際的無視のなか(その悲劇的状況をかれはスペイン内戦になぞらえていた)、グレーバーは機会があるごとに、かれらの苦境を報告し、諸国家の無法を告発し、その実験の世界史的意味を力説し、シリア北部へいくどか足をむけながら、支援を呼びかけていた。以下はトルコ人民民主主義党のある人物による追悼文の一部である。「今日、複合的な危機によって、世界中の人々の搾取と分断を基礎としたシステムが持続不可能であることがますます認識されている。わたしたちは他者の闘争から予断なしに学び、言葉を超えた連帯に関与することを学ばなければならない。グレーバーの死去とともに、わたしたちはこうした普遍的原理を日常的に生きている人間を失った。わたしたちが失っていないものは、かれが示した模範であり、かれの擁護した理念である。かれがISISとの戦いに身を捧げたロジャバの人々を記憶したように、わたしたちもかれを記憶することができる―実践としてこうした理念を生きることによって」。
 あまりにも不意打ちだったかれの訃報に、わたし自身は、混乱状態から立ち直れておらず、その喪失がどれほどのものか、はかりかねている。かれの知的独創性はきわだっていて、現代世界のどの知的潮流にも帰属をゆるさなかった。もちろん、細部をみれば、いろいろ影響関係は特定できる。しかし、全体としてみると、あきらかにかれの知的活動は孤立していた。むしろ、かれの言葉をもっともよく受け取ったのは、世界の闘う人々であり、あるいは、日々の暮らしに苦闘する「ふつうの人々」であった。そして世界が―あるいは民衆の闘争が―要請する課題にむかって、おそるべき知識の累積をひたすら総合していくその手つきは比類のないものであった。たとえば、かれはずっと以前から、人文社会科学の創造性への桎梏となりつつあるようにもみえる「フレンチ・セオリー」の重力を、ほとんど単独で吹き飛ばそうとしているように、わたしにはみえていた。これから長期にわたってときに爆発しつつ円熟をみせたであろう、ひとつの驚嘆すべき知的冒険のとば口に立ったばかりのはずだった。「ブルシット・ジョブ」なんて、序の口のはずだ。こればかりは順番が間違っている。
 もはや収拾しがたい混沌へと突入していく世界を前にし、わたしたちは、強靱な知性に裏打ちされた「永遠の楽天家」そして町一番の「地図作製者」である心強い仲間を失ってしまった。とはいえ、かれが後続の世代にばらまいた養分豊かな種は、世界中で実をむすぶであろう。もちろん、だれもかれのまねはできない。しかし、かれからえたものを、わたしたちの力の及ぶかぎりで結実させていくことは、この破格の知識人と時代を共有しえた、わたしたち自身の負った課題でもある。

※本稿は『世界』2020年11月号に掲載されました


酒井隆史(さかい・たかし)
大阪府立大学教授。専攻は社会思想史。1965年生まれ。著書に『通天閣 新・日本資本社会主義発達史』(青土社)、『完全版 自由論:現在性の系譜学』(河出書房新社)など。

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